Somewhere in the Arctic

北欧、在住11年目。家の窓からオーロラが見える、雪深い北極圏近辺でひっそり暮らしています

自分の身体が教えてくれた「休む」という決断

アドレナリン全開の充実した毎日

 

ここ一年は常に何かに追われているような気持ちもあれば充実感もある毎日だった。

 

新しい国に来て、模索し続けて、日本ではやったことの無かった新しい分野の仕事に挑戦してみたいと決心。その専門の学校に入りなおし、インターンシップなどを経験してやっと就くことが出来た今の仕事。私は現在会計関係の仕事をしている。

 

お金を扱うということもあり緊張感のある毎日だったけど、学んだことが活かせて、また言葉のハンデはあるにしろ、仕事内容から事前にしっかり準備をして行えば、ちゃんと評価してもらえるし、やりがいがあると思って仕事をしていた。でも、いつからか少しずつ自分が気付かないうちに積み重なってきていた「しんどさ」というものが今思うとあったのかもしれない。

 

 

常に緊張感があって、毎日、週ごと、年ごとにこなさなければいけないタスクがあって、ルティーン化しているような仕事の中でも変則的なことも度々あり、毎年国が定めるルールも変更したりアップデートされる。面白いと自分の心は思っていると思っていた。

 

自分の性格上、常に気になることがあれば考えてしまう性格のため、なるべく仕事のことを休みの時は考えたくない。そうする為に、オンとオフは分けたくて、仕事が終わると会社の携帯はオフ。メールも見ないようにし、身体を動かすことはストレス発散にいいと聞いて、週に3,4回は運動。これが私なりのリフレッシュ方法だと思って、ちゃんとストレス発散できていると思っていた。

 

会社で長い間いるのは生産性がない。そう思って、なるべく定時に帰りたくて、お昼は持って来たお弁当をささっと食べたり、食べながら仕事したりして、会社にいる間は本当に集中して数あるタスクをこなしていたように思う。

 

どこかで疲れているなあと思っても、「そりゃ、フルタイムで働いていたら、仕方ないよね。運動もしているし、土日は休みで有難い。」と思って身体の少しずつ合った異変に気付かないようにしていたのかもしれない。

 

身体が教えてくれた「もう休もうよ」という決断

 

2018年の終わりから2019年の始めにかけて身体の異変に気付き始めた。

寝れない。立ち上がる時に起こる立ちくらみやめまい。普段からめんどくさがりやだけど、更にめんどくさがりやが増しているし、色々なことに敏感になり始めた。

ぼーっとすることが増え、色々なことに悲観的になり、何も無いところで涙が出てくることもあった。

 

産休の人の代わりで決まったこの仕事。一人体制でこなしていた緊張感のある毎日から、今年2月に産休の人が戻ってきて、業務もこの一年でかなり増えてきたので、そのまま継続採用で2人体制で採用ということが決まっていた。周りには良かったねと言ってもらえるものの、なぜか心の中から喜べない自分がいた。それがどうしてか自分にもあまりわからなかった。

 

数々の異変は、私の身体が少しずつ教えてくれた私へのサインだった。にも関わらず、私はそのサインが見抜けず、アドレナリンを全開にしながら毎日を過ごしていた。

もう少ししたら落ち着く。あとちょっと。

 

身体が教えてくれたサインを迷うことなく、もう少しの我慢と思った私の心。 

最終的には、職場でパニック症状に陥り、過呼吸に。

何で私、こんなになってまで仕事しているのだろうって。

もう身体が教えてくれた最後のサイン。「休む」という決断をした。

 

枯れ果ててしまっていた私の心と身体

 

私は「燃え尽き症候群」とお医者さんに診断されて、休職することになった。

職場を離れるまでは気が張っていたのだろう。

休職してからというものの、気の張っていたものが全て切れてしまったのか、さらに疲れを感じるようになった。

 

最初はまだ不眠症が続いていて、薬の力を借りてでもまずは眠りなさいというお医者さんの助言を聞いて、摂取しながら一日中寝る日もあった。

相当疲れていたのだろう。自分の心身をここまで追い込んでしまったんだなとふっと思った。

 

少しでも楽しいと思えることをしなさいとお医者さんやカウンセラーの方から言われるものの、何が楽しいかもわからなくなってしまった。

私って何を楽しいと思いながら毎日過ごしていたのだっけ。。

楽しいと思えてた料理も、読書も、運動も、人と会うということも、どれも楽しいと思えず、何もやりたくないと思う日々が過ぎていった。

 

カウンセラーの方から言われたように、少しずつでもいいのでと、ちょっと元気のあるときは少しでも太陽の光を浴びながら散歩をするように心がけた。

これが私の精一杯の出来る行動だった。

毎日少しでも出来るだけ外に出て、ただ歩くということで、心身を穏やかにしてくれ、散歩するって大事なんだと、普段から思っていたと思っていたけど、更に感じたときだった。

 

些細なことが楽しいという嬉しさ

 

休職して1ヶ月ほどしてくると、 少しずつ楽しいと思えることを自分の心が感じるようになってきた。

まだまだ体力は無いし、気持ちは前は向いてはいないけど、以前より散歩が長く出来るようになったし、気の置ける家族や友人との時間は落ち着くし、楽しいと思えるようになってきた。少しずつ食べたいと思うものや料理も作りたいと思うものも出てきた。

 

集中力があまり続かないから長い読書は出来ないものの、大好きだった本も少しずつ読めるようになったり、働いていた時にやりたいと言いながら出来ていなかった編み物を少し再会したりもした。

 

「これが食べたい」、「あの人に会いたい」、「どこどこに行きたい」って思える。

何かをしたいって思えるって大事なことなんだな。

食べたものを美味しいと思えること、会いたいと思う人に会って時間を共にして楽しいと思えること、行きたいところにいけることって、当たり前のようで全然当たり前のことではなかったのだろうって、改めて思った。

 

もっと自分の身体の声を聞いてあげたい

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スウェーデン人の医師で、そういった患者を診断しているにも関わらず、自ら同じ症状にかかったことを綴った本を、休職中に読んだ。

集中力が低下した燃え尽き症候群の患者に向けて、短文でわかりやすく書かれていたので、時間は掛かったものの、数日で読むことが出来た。

 

私は彼女が本文の中で書いているフレーズを忘れないようにノートに書き留めた。

 

一息つくように練習しよう。

腰を下ろして、休んで、ゆっくり目を閉じてみよう。

好きな音楽を聴いたり、散歩したりしてみよう。

全てやり遂げようと思わないこと。

自分が自分を守れるように、休めるように練習しよう。

 

「休む」ということに迷うことはこの先いくらでもあると思う。

物事が上手く行っている時や、楽しい時ほど、この「休む」という決断を怠りがちだ。

人は、「何もしない」という時間も大切なんだと今回改めて、心身で感じることが出来た。

急速に進み、乗っていないと遅れてしまいそうに感じがちな現代社会だけど、自分の身体の声に敏感になって、ゆっくり立ち止まることも忘れてはいけない。

 

元気な身体あっての、私なのだから。