Somewhere in the Arctic

北欧、在住7年目。家の窓からオーロラが見える、雪深い北極圏近辺でひっそり暮らしています

私が今、父に贈りたい言葉

今週のお題「おとうさん」

 

父が今も生きていたら、以前のようにメールでやり取りをしていたのだろうか。

そしてどんなやり取りをしていたのだろう。

 

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私が父と最後にメールのやり取りをしたのは2014年8月3日。

 

メールはいつも短いやり取りだったけど、大抵メールは「元気だから心配しないでね。XX(夫の名前)に宜しくね」という文で終わっていた。

次に返ってくるメールもまたそうだろうと思って何気なく読んでいたのに、この日が最後のメールとなってしまった。

 

 

                                                              § 

 

父はあまり私のやりたいことに口を出さない人だった。

おおらかだったのか、あまり深く考えていなかったのか、関心がなかったのかわからないけど、父が反対するということはあまり見たことがなかった。

 

そんな父を身近に感じたのは、私が初めて大学を卒業して就職した時のこと。

海や港が身近な神戸で生まれ育ち、海外と関わる仕事をしたいと思って就職活動をしていた頃、父が私の受けた会社のことを知っていて話をしてくれたことがあった。

 

父も実は港に関係ある仕事をしていたのだが、私もあまり父の仕事が小さい頃からよくわからず、また父もあまり仕事のことを家で話している所を聞いたことがなかったので、実際に父が何の仕事をしていたのか、それまでよくわかっていなかった。

父もきっと私に話したところでわからないと思っていたのかもしれない。

 

そんな中、父はあまり私の就職活動に関しても何か言ってくることはなかったが、私が海運関係の会社を受けていることを何かのきっかけで話したときに、仕事でその会社に行くことが頻繁にあったようで、「あ、そこの会社の人、感じええよ。」みたいなことを言ってくれたのだ。

 

母は私を心配して、もっと他の学生が受けているような大きなメーカー会社や銀行なども受けた方がいいのではと薦めてきたが、私は一度決めると周りが聞こえない頑固な娘だった(今もそうだけど)ので、気になった港や貿易に関わる会社ばかり探していた。

 

そんな中、父が言った一言は、私がその会社に進むために前に一歩踏み出すよう背中を押してもらったような気持ちになった。父が良い印象だったというなら、入ってみようかなと。そして私はその会社に就職し、神戸から東京へと引っ越した。

 

 

父とは、東京へ引越してからも、メールでたまにやり取りをしていた。

私の働く会社の大阪の同期が父の営業担当になったようで、共通の話題や、また仕事の話をするようになった。

父の客先から英語でメールが来たときは、「マリちゃん、訳してくれへんか?」とメールが来ることもあり、父の仕事の英語のメールを訳したり、また返事を英語で書いて送ったりしたこともあった。

今まで、あまり共通の話題が無かった父が、急に仕事を始めて身近になった気がして、そして少しだけ役に立ったような気がして嬉しかったのを覚えている。

 

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Photo by my husband              

 

そんな父が血液の病気だとわかったのは、私が海外に移住して次の年だった。

治療のため病院に通ってはいたけど、父はまだ仕事もしていたし、日本に帰国したときは、帰る度にちょっと痩せている感じはしていたけど、食欲もあって、元気だったし、きっと大丈夫。まだ大丈夫と自分に言い聞かせていたのかもしれない。

 

 

そんな中2014年の8月。母と妹からあった急な電話。

「帰ってきた方がいいかもしれない」と。

その時は私は仕事をしながら学生生活を始めたところだった。現地の人と一緒の仕事や学校に通うにあたって、言葉の面で大分遅れをとっていた私は正直焦りもあった。

 

でも海外に住んでいて遠いことを理由にしたくない、帰らなければいけないときに帰れるようにいつも準備をしておきたいという気持ち、もしくは海外に移住した罪悪感があったのかもしれないが、こういう時に帰らないでいつ帰るのだという気持ちがやはり強かった。急いで航空券を予約し、2日後に日本に到着した。

 

 

この時再会した父は集中治療室で沢山の管をつけて眠っていて、意識も朦朧としていた。今まで私が見た父とは全く違った姿に驚き、涙を流した。

私に気付いたのだろうか。目があったような気もする。そして握った手を握り返してくれたような気もする。父の目からも涙がこぼれていた。

今でもその時の光景が目に焼きついている。

帰って本当に良かったと思う。会いたい人には会いたいときに会いに行くことが本当に大事だと感じた。帰国した一週間、私は毎日父に会いに行った。

 

そして父は、良くなるかもしれないとお医者さんに言ってもらえた治療をすることになり、とりあえず私は予約していた復路の航空券で一度スウェーデンに戻ることにした。

 

そしてその3日後、父は天国へ逝ってしまった。

 

 

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Photo by Ameen Fahmy on Unsplash

 

今でも父とやり取りしたメールをたまに読み返すことがある。

時が経つと思い出も記憶も薄れがちになってしまうけど、このメールを読み返すたびに、まだ今でも日本にいるんじゃないか、帰ったら車で神戸空港まで迎えに来てくれているんじゃないかって。父が今も神戸にいるような気がしてならない。そして色々な思い出がよみがえってくる。

父はこれからもずっと私の心の中で生きている。

 

父との最後のメールは、いつもよりも少し長い文章だった。

本当に元気になって、お母さんと一緒にそちらに会いに行きたいです。それぐらいの気持ちを持ち前向きに考え頑張ります。

又お母さんがよくはっぱを掛け勇気づけてくれます感謝してます。

本当に頼りになるお母さんです。これからも自分並びに家族の為にもまだまた頑張ります。まだまだ暑い日が続きますが体に気をつけて頑張って下さい。XX君(夫の名前)に宜しくお伝え下さい。まだまだ頑張りま~す。

 

父には一度こちらに来て、私の住む国を見て欲しかったなと思う。私の心を通して見てくれているだろうか。どう感じているのだろうか。聞いてみたい。

 

お父さん、

私も前向きに、周りの人に感謝し、元気に、まだまだ生きたいと思います。なので私の 心の中でずっと生きていてください。

そして私達家族を見守っていてください。

どうもありがとう。

 日本の父の日に、この言葉を贈ります。