Somewhere in the Arctic

北欧、在住8年目。家の窓からオーロラが見える、雪深い北極圏近辺でひっそり暮らしています

燃え尽き症候群になった私 - 症状に至るまで

 

私は今年の初めに「バーンアウトシンドローム」(燃え尽き症候群)(スウェーデン語でutmattningssyndrom)と診断されました。

 

 

以前のお題の記事に私が燃え尽き症候群になったことによって決断したことに関して書きました。

その時の記事はこちら

arcticmaricorima.hatenablog.com

 

現在で約半年が経過しました。まだ油断は出来ませんが、心身共も大分よくなってきました。

 

時間が経つにつれて、その時感じていた気持ちや、体調に関しても少しずつ忘れていくもの。

燃え尽き症候群は一度なってしまうと、再びなってしまう人の確立が高いと医学的にも結果が出ているようです。

 

今思い返すと、どうして燃え尽き症候群になったのかを冷静に考えることも出来ますし、今後の仕事との向き合い方も改めて考え直すことが出来ました。

 

自分のためにも、そして同じような心身の状況を感じている人のためにも、私が経験したことをここに残しておきたいと思います。

もし、同じような傾向、症状、気持ちを持っている人がいらっしゃれば、少しでも私の経験を通して、何か感じることや、症状が和らぐことが出来れば嬉しいです。

 

今回はその症状に至るまでのお話。

 

 

 

 

私が燃え尽き症候群になった経緯

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そもそも、燃え尽き症候群とはどのようなものなの?

燃え尽き症候群(もえつきしょうこうぐん、英: Burnout)は、一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が、期待した結果が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満。

慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう症状。一種の心因性(反応性)うつ病とも説明される。

極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生することが多いと言われている。

    (引用:  燃え尽き症候群 -Wikpedia)


私も、急に意欲を無くしてしまい、このような状態になりました。

 

学んだ知識を活かせた充実した仕事の日々


私は、現在海外、スウェーデンで会計関係の仕事をしています。

会計の仕事は海外に移住してこれからの人生を模索するなか、今まで働いたことの無かったフィールドではありましたが、経営に関して興味を持ち始めたことがきっかけで、会計に興味を持ち、経営や会計の知識を活かして仕事を見つけることが出来るのではないかと改めて選んだ道でした。

 
スウェーデンで通った会計学校に関しての記事はこちら。

arcticmaricorima.hatenablog.com

 

現在働いている会社は、人が足りないことから、週一回手伝って欲しいという形で始めた仕事でした。

前職は75%勤務(スウェーデンでは週40時間働くことを100%と数え、75%採用となると、週30時間勤務体系となる)で経理関係の仕事をしていたことから、毎週金曜日が休みだったため、毎週金曜日に現在働いている会社でアシスタントとして働き始めたことがきっかけでした。色々な分野で経験できることは私にとってもプラスだと思い始めました。

その後、週一回で働いていた会社の同僚の妊娠が発覚し、産休を取るため、代理の人が必要になるため、100%勤務で働かないかと提案されたことが転職のきっかけとなりました。

前職は経理関係の仕事の他にもそれ以外の仕事の割合が大きかったため、経理、会計関係をメインに仕事が出来るならスキルアップにも繋がると、転職をすることにしました。


一人で全て行う会計業務の責任の重さ

 

同僚が産休に入り、一人で仕事をする日々が始まりました。
全ての会計、事務関係の業務を一人ですることに不安はありましたが、彼女が戻ってくるまでの一年間、成長出来るいいきっかけだし、頑張ろうと思い、一人での勤務の日々が始まりました。
その時の想いは、2018年の初めてやったことリストにも書いています。

同僚は外勤が多いことから、会社では殆ど一人でした。
なので、あまり気分転換に誰かとたわいもない話をするなどということはあまり無く、もくもくと仕事をする日々が続きました。

たまにリフレッシュのため、外にランチに行って、友人と会うこともありましたが、今思い返すとリフレッシュする時間が少なかったなと思います。

またお金関係の支払い、税務署関係への申請、必要な書類の準備、銀行とのやり取りなど、間違うと大変なことになる、また締め切りをしっかり守らなければいけないと常に緊張感が自分の中でもあったのだと思います。

上司はあまり干渉する人ではなく、ちゃんと業務が回っていれば好きなようにやっていいという印象を受けたので、私も自分のやりやすいように業務の予定を立てたり、あと、上司が必要な期日や要望にあわせて仕事をしていました。
融通が利いて働きやすいとも思っていましたが、逆に、病気や休暇を取ると、誰も代わりにやってくれる人がいないため、業務が溜まっていくというプレッシャーもありました。



身体や心に異常が現れ始める

任期が残りあと3ヶ月というところから、どんどんの身体の異常が見え始めました。
仕事の量は常に多いという意識はありましたが、この頃から仕事をこなすことが辛くなり、思い通り仕事をこなせていない自分に気がつきました。

その頃から出てき始めた症状

  • 眠れず、何度も夜中に目が覚める。
  • 急に立ち上がるとめまいがする。
  • 情緒不安定で、以前よりも敏感になっている自分がいる。
  • 前向きになれない、悲観的な自分。
  • 仕事以外でリフレッシュしなくてはと疲れていても他の予定を無理やり入れていた。(ジムでハードなグループトレーニングに参加したりなど)
  • 物事を忘れやすくなっていた。


この時点で上司に話し、仕事の量を少し減らしてもらうようお願いし、一部の業務は産休の人が戻ってくるまでしなくてもいいという話をしましたが、体調はどんどん悪くなり、更に今までは出来たであろう業務を行うことさえ難しくなっていきました。
上司もあと少しで2人体制になるから頑張れという言葉だったので、私も後少し!と自分に言い聞かせながら仕事をしていました。



産休の人が戻ってきた途端にプツンと来てしまった

産休の人が戻ってきて2人体制になったのもつかの間、私の耐えていた何かがプツンと切れてしまいました。彼女が復帰するまでと自分の中で耐えていたものが緩んでしまったのだと思います。

もう彼女が戻ってきた時点では私は、自分の知る”私”ではありませんでした。
人と話すのが困難な状況で、上手く彼女にも引き継ぐことも出来ず、コミュニケーションを取れる状態ではありませんでした。スウェーデン語で話さなければいけないのに、スウェーデン語で誰かと話すということが苦痛で仕方ありませんでした。

自分の態度も明らかに失礼だと自分でも思うような態度を取っており、自分自身にも苛立ちが起こるばかりにも関わらずどうしようもない自分がいました。
何事にも悲観的で、簡単だと思っていた業務もこなすことが出来ず、仕舞いには職場で過呼吸に陥りました。

あ、もうこれは限界だと思いました。
色々なことへのやる気を失い、上司に休職したいと伝えました。

この頃には以下の症状が見え始めていました。

 

  1. 仕事に関することを話したり聞いたりするだけで、動悸がして呼吸がしにくくなる。
  2. 組織に関して無関心、諦めの言葉しか出なくなる。
  3. ぼーっとすることが更に増えた。
  4. 私生活でも楽しいと思うことがわからなくなった。人に会うのが困難になった。
  5. 身体に力が湧かず、以前のように運動出来なくなった
  6. 落ち込みが激しく、何事も悲観的に取ることが増えた
  7. 疲れやすくなって、色々なことが一日の間に出来なくなった。
  8. 転職したいと強く思うようになり、仕事を探していた。

 

そして、上司により病院に行ったほうがいいと勧められ、病院に行った結果、燃え尽き症候群(バーンアウトシンドローム)と診断され、休職したほうがいいと診断されました。



次回の記事では、私が休養期間をどう過ごして、回復していったかを書いていきたいと思います。

ここまで読んで頂き有難うございました。