Somewhere in the Arctic

北欧、在住9年目。家の窓からオーロラが見える、雪深い北極圏近辺でひっそり暮らしています

英語は思いを伝えるツールの一つであるということ

どうして学校で英語を勉強しているの?


私たちは学校で何のために英語を勉強しているのだろう。

 

英語というのは沢山ある語学の中の一つであって、日本語、スペイン語など世界の中で使われている言葉の一種に過ぎないのである。
でもどうしてこんなに日本の教育で英語が重要視されているのかと思ったことが過去に何度もある。

 

私が学生の頃は英語の授業は中学生からだったが、正直、中、高校の英語の授業に楽しさを感じることはあまりなかった。ただテストに受かるために教わっているような授業で、学校は何のために英語の授業を必修科目にしているのだろうって。


といって、私は英語が嫌いかと聞かれたらそういうわけではない。むしろ好きである。
嫌いになれなかったのは、英語という武器を使うことで違った世界とコミュニケーションをとる楽しさを感じることが出来たからだ。
英語は思いを伝えるためのツールの一つであって、英語で思いを伝えたい、話したいという意思がなければ、いくら勉強しろと言われて勉強しても身に付かないということを自ら実感し、自らその伝えることの楽しさを肌で感じることが出来たからかもしれない。


そういったきっかけを与えてくれたいくつかのターニングポイントが私にはあった。

 

 

道を尋ねられた小学生のころ

私が生まれ育った神戸の町には、当時は私の家の近くにも外資系の企業のアジア本社などがあり、海外から移住してきて駐在している家族をちらほら見かける事もあった。

そんな環境だからといって外国や英語が身近にあったわけではないが、一度、学校の帰り道に外国からの方から道を聞かれたことがあった。

もちろん聞かれた言葉を理解し、道案内出来るほどの語学力はなかったし、会話としては全く成立していなかったのだが、それでも、何となく尋ねてきた人がどこかに行きたいのだとわかり、口では説明出来なかったので、手招きしてその場所まで案内してあげた事を今でも鮮明に覚えている。
もっと理解してあげたかったなという気持ちが残り、そういったきっかけから、どうやったら英語で道案内が出来るのか気になって調べてみたりした。それが私が英語を使ってみたいと思った初めの一歩だった。

 

ペンパルとの交流

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中学生の時はペンパルを始めてみた。インターネットが発達する現社会で今でもペンパルが残っているのかは定かではないが、当時は海外からやってくる手紙がポストに入っていることがどれほど楽しみだったか。

その時に思ったことが「伝えたい、書きたい」と思うことは学校の英語の教科書から見つからないということ。やり取りをした香港出身の女の子とは、日本のアイドルが当時香港でも人気だったことから、好きなアイドルや歌手の情報交換、切り取りを送りあったり、また日常のことを書いたりしあった。この時に彼女の文化に興味を持ち、香港映画や香港の歌手が歌う歌を見たり、聴いたりして新しい世界も広がった。彼女に「書いて伝えたい」と言う思いからペンパルの参考書や分厚い辞書を片手に毎回何時間もかけて、書いたことを今でも覚えている。

 

語学研修は私には向かないと思えた語学留学体験

高校は進学校だったこともあり、英語の授業は、大学受験に受かるための科目の一つに過ぎず、英語の楽しさも忘れつつあった。

大学に進み、留学生と交流したりすることが増え、再び海外に興味を持つように。
やっぱり、外国を肌で感じるときっと感じることも違うのだろうか。


そんな思いの中、在学中にマルタ共和国への一ヶ月語学留学に参加出来ることになり、この時人生で初めてのヨーロッパへ。


旅行会社が学校と提携して行った初めてのマルタ語学研修ということもあり、トラブルの連続だった。

行く前に聞いていたことと事が違ったり(海外であるある)、また財布を盗まれたり(これは自分の不注意!)と、色々あったが、極めつけは、帰国日に空港までの迎えのバスが来ると連絡されていたにも関わらず来なかったということ。

現地スタッフ同士のコミュニケーションが上手く取れてなかったようで、お互いが相手が手配すると思っていたことから迎えの時間を過ぎても一向に来ることはなかった。(結局誰も手配していなかった)

語学研修に参加していた人数が20人ほどということもあり、またマルタの交通事情はそんなに整っていたわけでもなく、バスも時間通りに来るわけではなかったので、時間が少しずつ経つにつれて、焦り始めた。
日本の旅行会社に国際電話しようと言う人もいたが、そんなんじゃ間に合わない。
その時に私は自分がどう話したか、行動したかも記憶が飛んでいて覚えていないが、近くにあるホテルまで走り、その状況を説明し、助けをお願いすることが出来た。

当時は海外で使える携帯電話やスマートフォンを持っている人も少ない時で、グーグル翻訳なんてなかったし、電話も公衆電話からかけていたような時代だったので、どう解決するかで必死で、話せないと思っていてあまり語学学校の授業で発言するのが怖いと思っていた自分が、自ら出た行動に自分でも少し驚いた。


最終的には本当にぎりぎりで空港に全員着くことが出来、無事に帰国できたが、学校で英語を学んだことより、自分で対応しなくてはいけないトラブルの状況で英語で乗り越えることが出来たことが、私の少しの自信となり、もっと英語を使えるようになりたいと思うようになった。

「英語を学ぶ」というためより、「英語で何かを学ぶ」方が、私には合っているのではないかと思うようになり、当時大学からそれが可能だったスウェーデンの協定大学との交換留学を選び、英語が母国語でない世界中からの学生達と英語で行われている授業の中で、興味を持った教育関係や、国際コミュニケーションを専攻した。

ディスカッションや、一緒にレポートを書く授業が殆ど、そして実際に地元の小学校に行って英語で授業をするという研修もあったため、自分がどう思っているかを伝えないと全く話にならない。黙っていたら授業を欠席してるも同様。
自分がどれだけ英語というツールを使って自分の思いを伝えられないかということ、授業やグループワークにもついていけていないということを身にしみて感じた。

でも、そんな私の英語力でも付き合って、話を聞いてくれる友人に留学中に出会えたおかげで、「もっと上手く伝えたい、話したい」という思いは強くなり、また間違えを恐れていては全然話が進まないと、失敗を繰り返しながらも、英語を一番話し、勉強したた時期だったのではないかと思う。

 

スウェーデン人の英語取得方法

その留学がきっかけで、今も私はスウェーデンに住んでいる。
日本の大学を卒業し、日本で働いてから再度こちらに移住して今年で9年目に突入した。

 

実はスウェーデンの公用語はスウェーデン語であって、英語ではない。

でも移住して思ったのが、小さい子どもからお年寄りまで、英語が話すのが苦手と言う方にも出会うけれども、それでもみんなそれでも英語を話すのが上手だなと思う。

特に若い人はグループの中に一人でもスウェーデン語がわからない人がいれば、みんな英語に切り替えて話してくれる。これを日本でするとちょっと恥ずかしいと思う人も多いのではないだろうか。でも、わからない側からしてみればとても有難い対応である。

 

学校教育方法にも関係していることはあると思うが、(スウェーデンは発表したり、話し合ったりする授業が小さい頃から多い)その他にも、小さな子ども向けの番組以外は、海外から来ている番組はその国の言語で放送し、スウェーデン語字幕のみを付けているものが殆ど。実況中継など、追いつかないものは字幕がつかないこともある。これは予算的な問題もあるかもしれないが、これがスウェーデン人の英語力のレベルを上げているように思う。

映画を見るにも、ゲームをするにもそう。自分が見たい、やりたいと思うものがスウェーデン語ではないため、その映画やゲームなどをやりたいという思いから、英語が小さい頃から身近にあるのかもしれない。
知人のお子さんは6、7歳ぐらいからオンラインゲームで他のプレイヤーと英語で話しながらゲームをプレイしていたとのこと。親が教えたわけでも、学校で英語を習い始めていたわけでもないが、「やりたい!」「わかりたい!」という気持ちが、英語力も身につけているのかもしれない。

 

言語は思いを伝えるためのツール。

海外に住んで改めて凄いなと思ったのは、日本社会で働く外国の方たち。

日本語ってひらがな、カタカナ、漢字とまず読めるようになる前提に覚える文字が山ほどあるし、日本人でも何年もかけて勉強する言葉を、どんなきっかけであれ、興味を持ったことから勉強し始め、日本語を身に付け、日本の社会で働いている姿を見て、ジーンとなったことが日本帰国時にあった。

最初はその言語のフレーズを本や、学校で習って真似て使ってみることから始まり、発音や、単語、使い方の違い、間違いを繰り返し、何度も繰り返し使って、失敗して、日本の人や文化の背景もわかってきたからこそ、こういう対応をしてくれているのだなと思うと、きっと背景で沢山努力はしているのはもちろんだと思うけど、本当に日本語を学びたいと思える何かきっかけがあって、そしてここにいるのだなって感じる人に何度か出会うことがあり、何だかとても嬉しくなったし、凄いなと思った。

そう思うと、誰でも学ぶ課程で間違って当然。ちょっと相手が言い方を間違えたって、発音がちょっとおかしかったって、頑張って話している人がいたら、大丈夫だよぐらいの感覚で受け入れる側も温かく見守って欲しい。学校でテストに通るためのだけの勉強ではなく、もっと違った形で英語(言語)に触れて、自分楽しいと思える何かから学んで、もっと使って欲しいなと思う。

そういったちょっとしたことで、自信やモチベーションになり、言語を学ぶことが楽しいと思えるのだから。

 

英語は思いを伝えるツールの一つにすぎない。
「伝えたい」、「わかりたい」という思いがあれば、それに繋がる勉強方法を自ら見つけ出し、語学力もコミュニケーション力も上達していくのではないかなと私は思っている。

 

そう信じて、焦らず少しずつ、コツコツと。

言語の学ぶのに終わりはないと思うから。

 

 

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